
#03(遊 び)あちらを走り こちらで跳んで
こんにちは。
今日もパパの大好きな笑顔で元気にしてますか?
もしかしたらパパの手紙はお説教ばっかりでつまらないと思い始めた頃かもしれませんね。
そう。パパの手紙はお節介だらけなので、
あなたが必要と思わない限り読む必要など全くありません。
けれど、実はこの手紙だけは読んでもらえたら良いな、と願っています。
なぜなら今日書くことがパパが一番伝えたいことだからです。
これさえ読んでくれたら、これからの手紙なんて、読まずに破り捨てても構いません。
「じゃあ何故初めに書かなかったのか?」
それは初めに書いたら他に比較できるものがないことになるからです。
伝えたいことは簡単です。
好きなだけ遊びなさい。
「それだけ?」
それだけです。
パパはあなたが無邪気に遊んでる所を見るのが大好きです。
あちらを走り、こちらで跳んで、ブランコに揺られ、滑り台で手を叩く。
楽しいことを見つけると、それを何度でも繰り返し、
できないことを見つけると、悔しがって泣いたり、またチャレンジしたり。
こんなに人間的なことが他にあるでしょうか?
遊びとは本当に人間らしい行為です。
もしかしたら遊びこそが人間そのものかも知れません。
だからどうか、思う存分、遊んで下さい。
泥んこになっても、怪我をしても。
そのことでヤキモキするのはパパやママたちで、
あなたにとっては心配なんてものが存在しないかのように、
遊びは楽しさの方がはるかに大きな存在なはずです。
「じゃあ、勉強しないで遊んでばっかりでも良いんだね!!」
必ずそう質問したいところでしょうね。
パパのお願いをそんな風に聞いて遊ぶことを受け入れてくれるなら、
パパが「勉強しなさい!!」って言った時も聞いて下さいね(笑)。
いえいえ。そんなことを言うつもりではありません。
質問に対するパパの本当の答えはこうです。
あなたが『遊び』の王様になったら、『勉強』はお隣にある大国のような存在ではなく、
遊びの国の中で従順に働いてくれる頼もしい王様の家来の一人に過ぎない、のです。
それは遊びを存分に楽しめる人に、わざわざ勉強を強いる必要などない、ということ。
遊びが人間そのものであるならば、
遊びから学び取ることができることは、ありとあらゆること全てです。
あなたがこれから歩む道の中で、たくさんの人と出会い、
たくさんの出来事を経験するでしょう。
そこであなたの目の前に疑問や難問や悩みや迷いが生じた時、
パパのお節介の手紙が役立つときも少しはあるかもしれませんが、
一番役立つのは、あなたが遊びの中から学んだ知恵です。
だから、たとえあなたが今いくつだとしても、
このことを何より一番に大切にしていて欲しいとパパは心から願います。
パパの言う『遊び』とは娯楽や快楽のことではありません。
あちらを走り、こちらで跳んで、ブランコに揺られ、滑り台で手を叩く。
そんな人間の根源的な喜怒哀楽が湧き出る泉としての『遊び』のことです。
「遊びを大事にしてたら真剣に仕事してる人に笑われちゃうんじゃない?」
少し大人になったあなたなら、そんな質問をするかもしれません。
オランダの歴史学者『ヨハン・ホイジンガー』は、
「遊びは本気なものではない、と言ってはならない」と説いています。
そう。遊びも仕事同様、真剣に向き合うもの。
遊びを笑う人と、遊びで笑う人との笑いの質の違いを考えれば、
そんなことを気に留める必要がないことは明白となるのです。
最近は砂場で泥んこになって遊ばせるのを避ける親も多いそうです。
ばい菌が多そうな砂に触れることに抵抗があったり、
自慢のブランドの服が汚れちゃうのが嫌なのかも知れません。
でもママが言うには、砂に触れて遊ぶことは『心の栄養』になることの一つだそうです。
パパも同感です。あなたが大好きな花に触れて「お花さんコンニチワ」と挨拶して歩きまわり、
大好きな夜空に輝く月が雲に隠れて見えない日には「ムーン、モーフ、ネンネ」とパパにつぶやく。
自然とともに遊べば、自然からもたくさんの恵みを受け、たくさんのことを学ぶことができます。
たとえあなたがお行儀よく、真面目にお勉強をしてくれていたとしても、
あなたに遊ぶ気配が全くなかったら、パパはその時こそ、あなたにお説教することでしょう。
もっとちゃんと遊びなさい!!と。
どうか、今日もどこかで、パパの大好きな笑顔で、あなたが楽しく遊んでいますように。
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