
大澤誉志幸さん ロングインタビュー
WEBマガジン「Soul Relations」(ソウル・リレーションズ)。今回のプレミアム・インタビューは、今年デビュー30周年を迎えられた大澤誉志幸さんの登場だ。
大澤さんは2011年5月25日、新曲とセルフ・カヴァーをうまくミックスされたアルバム、「水月鏡花」をリリースされる。包容も野望も、希望も失望も、ロマンスもディスタンスも、いろいろな要素に大人の男の、大澤さん独自のスパイスがふりかけられ、魅惑的な色気を感じるようなアルバムに仕上げられている。なにより大澤さんの声は、ただそれだけでほろ酔い加減になってしいまそうな、そんな危険な香りすら漂っていて、「ソウル・リレーションズ」を読んでくださっている大人の男女には、ぜひ聴いていただきたい。

大澤誉志幸さんプロフィール
1981年に「クラウデイー・スカイ」のヴォーカルギターとしてビクターよりデビュー。その後、沢田研二、中森明菜、山下久美子、吉川晃司などへシングル曲提供。メロディー・メイカーとしての才能を世間に認知させる。
1983年にEpic Sonyよりソロデビュー。「そして僕は途方に暮れる」等の大ヒットでシンガーとしての地位を不動のものとする。
1995年にはワーナーレコーズに移り、三枚のアルバムを発表したのちシンガーとしての活動を停止し、作曲、プロデュース活動に専念する。2002年、二年半の充電期間を経て、活動を再開。
その後はコンスタントに活動を続け、2010年Album「TraXX (トラックス)-Yoshiyuki Ohsawa Single Collection-」を Sony Music Direct(Japan)Inc.から、デビューからのシングル曲(ユニバーサル盤を除く)を網羅した、オリジナル原盤によるまさにLegend的な2枚組アルバムをリリースした。
大澤誉志幸オフィシャルサイト
インタビュー・文 / 渡辺末美
「自意識が強い子ではありましたよね(笑)」
アルバム「水月鏡花」。ゴージャスなアルバムだ。いろんな気持ちが詰まっている。このアルバムを聴くと、大人の色気がいかに大切なものかを感じずにはいられない。そういったことも含め、大澤さんは緻密さや繊細さを大胆なアレンジで覆いつくし、ナイーブな側面を極力表に出さないように細心の注意を払っているようにすら感じられる。
ただし、それは単にぼくがこのアルバムを聴いて感じたことであって、感想はもちろん人それぞれ。なんにしても、いいアルバムができたことだけは間違いない。
今回は、大澤さんにデビューの頃までさかのぼって、話をうかがった。
──今日はよろしくお願いいたします。
「はい、よろしくお願いします」
──まずは古い話から聞かせてください。今年、大澤さんはデビュー30周年、ということになりますね。
「そうですね」
──この30年という数字は、ご自身の中ではいかがですか。
「短いですね。やってきちゃうと、短い感じがしますね。ついこないだデビューしたような気もするし。最初はバンドでデビューしたんですが、そのバンドが1年半ほどで空中分解してしまって。そのあとは裏方の仕事をずっとやっていたんですが。CM制作とか、コーラスとか。そういう仕事をやっていたので、その頃から自分でデモテープをつくりはじめたんです」
──もう一度。
「そうです。レコード会社に持っていって聴いてもらう作業を続けて」
── 一度デビューしたにもかかわらず。
「そうですね」
──改めて伺いたいんですが、もともとクラウディ・スカイのデビューはどういうきっかけだったんですか。
「クラウディ・スカイは大学生の混合バンドみたいな形で、みんなプロ志向で、コンテストに出ていたんです。まぁ、友達の友達がメンバーだった、みたいな感じで出来上がったバンドだったので……。ただプロ志向だったのでやること自体は一生懸命やっていたし、時流の音楽……、当時は1970年代後半なので、柳ジョージさんとか世良公則くんとか、原田真二くんとかがいて。で、サザンが少し早いくらいかな。あと、マーチン、鈴木雅之とか、大友康平、山下久美子とかは、ちょい先輩。半年先輩とか、半年後輩とか。そういうような流れでしたね。
そういうなかで、コンテストに優勝して事務所に顔を出したりしていて、その流れでビクターレコードと渡辺プロダクションとで新しいセクションをつくるということではじまったんです。だけど、プロ契約して1年半でバンドが空中分解しちゃったという感じなんですね」
──それは友達同士でつくったバンドだからダメになったんでしょうか。
「いや、数字が出なかったので。そうなると、プロダクションとしても維持費がかかるから、そこら辺での解散、というところでしたよね」
──ものすごく見切りが早いですね。
「早いですね」
──アルバム2枚目はなかったわけですよね。
「アルバムは1枚ですね」
──でも、おもしろいバンドでしたよね。
「そうですね。コミカルなバンドで。やっていること自体は、初期のアニマルズや初期のストーンズのコピーみたいなことをやっていて、オルガン・サウンドなんですよね」
──はい。
「キーボードはオルガンを弾いていて、ギターは初期のキース・リチャーズみたいな感じで。コミカルな歌詞はディレクションする人間が選んでいて。全然違うタイプの曲もあったんですが、そっちのほうをフューチャーされて」
──大澤さんは、いつぐらいのタイミングからプロになりたいというか、音楽で飯を食いたいというふうに意識されるようになりました?
「けっこう早かったですよ。10代のときには。”自分はちょっと違うんじゃないかなぁ” みたいに、自意識が強い子ではありましたよね(笑)。ただ、ぼくは最初ギターをやっていたので、歌は考えていなかったんです。それがやっているうちに、”歌もいいんじゃないの” くらいの流れから、いつの間にかメイン・ヴォーカルになっていたんですよ」
──ということは、スタートは「歌を唄いたいんだ」という意識ではなかったんですね。
「そうですね。最初はギターを弾いてバッキングをして、みたいな。そういう意識でしたね」
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